経済の新書とノストラダムスの大予言

うちの家にもママが買った経済やビジネスの新書がたくさん転がってるのだけれど、どれこもこれも、世界・国内経済について、悲観的予測をしたものしか無い。

それになにか打開策を提示したものだとして、その打開策は現状維持を目的としたものであり、よりよい未来をもたらすものではない。そんな本ばかり家に転がっているが、うちのママはペシミストなのだろうか?

いや、そんなことはなく、街の本屋に行けば、経済の新書がほとんどそういうものだというのが分かる。国際金融危機だとか、デフレだとか、そういう事ばかり書いてある。

逆に、マーケティングだったり、経営だったりは「こうすればもっとよくなる」論である。「君の会社は潰れる!」論は少ない。会社が潰れるのは日常茶飯事で、逆に国はなかなか潰れないのに。

これは要するに、人々というのが、カタルシスを味わいたいからだと思う。経済新書というのはそういう意味で、難しい専門用語と統計を駆使して書かれたノストラダムスの大預言書と何ら変わらない。

僕は経済についてよくわからない人なんだけれども、実際に、アメリカが金融危機に直面して、それは世界的な金融危機だったんだけれども、日本人の暮らしは変わらなかった。

それどころか、アメリカで犯罪が増えた〜とか、アメリカで飢餓による暴動が〜とかもなかった。確かにギリシャはしくじったが、戦争は起きてないし、せいぜい大企業の新規の投資が数年遅れたくらいじゃないのか。

国際的な金融危機を語る本で、個人のリスク管理まで一緒に面倒みてくれる本はなかなか無く、そういう意味で、その本はノストラダムスでしか無い。どこか自分がコントロールできそうもない、遠い次元で起きるカタストロフィを味わうためだけの本だ。

これが意味するところは大きく、つまり、人々はどれだけ知識をつけても、自分の原始的な欲求に抗うことはできないということ。それがノストラダムスで発散されるのか、国際金融危機で発散されるのかの、この違いなだけだ。